院長 上原 隼斗
プロフィール
血液型:AB型
星座:ふたご座
出身:千葉県市川市→杉並区
趣味:
マラソン、サッカー(キーパー)、登山、漫画鑑賞(特にワンピースが好きです)
好きな食べ物:
ビール、ラーメン、チョコレート
ここだけの話:
祖父が北海道の演歌歌手
アピールポイント:
沖縄と北海道のハーフ!お酒強いです。
ひとこと:
2児の父です。若いですがしっかりと整体と元気にて皆様をサポートします!
上原ストーリー
初めまして、上原隼斗(うえはらはやと)です。
私を元気で丈夫な体に生んでくれた両親に感謝します。
大きな怪我、病気をすることなく、私が今日この日まで楽しく人生を謳歌できているのも、両親が大切に育ててくれたからです。
私は弟と妹との3人兄弟の長男として育ちました。
千葉県で生まれ、東京の杉並区に拠点を移し、小学校4年生まで暮らしていました。
両親からも甘やかされ、小学生で今と同じ体重くらいのガタイの良さ(70kgほど)。
父の仕事の関係で 10 才の頃に千葉県市川市に引っ越しずっと住んでいました。
幼い頃からかなりの大食い、小学生の頃には、沖縄 出身の父の実家で沖縄そばを
大盛りで 3 杯も食べ切るお腹の大きな少年でした。
順調に育ち、市川市のちびっこ相撲では 100 人近い個人戦の中で優勝。
その後、「カッコよくなりたい!女子にモテたい!そうだ運動しなきゃ」
ダイエット 目的で小学校4年生からサッカー部に転向。
ポジションは表面積が大きい理由 でゴールキーパーに決まり、
部活動に明け暮れる日々が始まりました。(見事に痩せましたがモテは無かったです)
千葉県の高校入学後は、一年生からレギュラーチームでゴールを守らせて頂き、
チームメンバーにも 恵まれ、強豪の多い千葉県内でベスト16位に入ることができました。
同時に、同じ高校卒業生のアーティスト
yukihiro (L’Arc〜en〜Ciel のドラマー)に憧れ、軽音部でバンドを組み、
校内のライブでは何度もトリを飾るボーカルも担当。
しかし、順風満帆な高校2年生の夏、そんな日々が変わる大事件が起こります。
実の弟が富士の樹海で行方不明になりました。
無事、三日後に命ある状態で帰ってきましたが、人生の先が見えずに自ら失踪したとのこと。
家族もパニックになり、弟と何度も今後のことを何度も話し合った後、
「人生をやり直すために、勉強をして偏差値の高い大学に行きたい」
本人から聞けた、たった一つの前向きな言葉でした。
妹の受験も重なり、裕福ではない家庭環境でしたので、兄の私が弟の学費を工面することを決断。
高校3年生から部活動やバンドなどのプライベートは全て捨て、アルバイトと学業漬けの毎日に切り替わりました。
この体験から、大切な人のためなら、喜んでくれる顔が見ることができるなら
120%で頑張れる自分に気づき、人のために働ける、 そして、
悩んでいる人をサポートできる仕事に就きたいと想うようになりました。
スポーツの怪我で整体院の先生にお世話になっていた経験もあり、
将来なりたい自分について悩み考えた末、整体師・治療家への道を目指すことを決意。
高校卒業後、柔道整復師の国家資格をとるために専門学校に入学し、
朝昼は錦糸町の整骨院で勤務修行しながら、夜間は専門学校のルーティン
(この時に勤務していた整骨院で嫁さんと知り合いました)
その後に週 5日は夜勤でパン工場派遣に勤め、今思えば狂った3年間の専門学生生活を過ごします。
稼いだお金は、年間数百万円を弟の学費に、余ったお金は治療整体の学習教材にほとんど費やし、激動の学生時代でした。
その後、私は、国家試験(柔道整復師)に一発合格!その翌年に弟も立教大学の入学も決まり!
勉強のしすぎで 視力が 2.0→0.01 になった弟と涙を流し抱き合ったのを強く覚えております。
その後は家庭環境も落ち着き、手技の学習に没頭する毎日を過ごしていました。
当時の勤務先の院長先生が、治療業界最大の研究会の主催者である
花谷博幸先生の会員であり、花谷先生のセミナー資料に触れられる環境で、
患者さんの気持ちを楽にさせるカウンセリングの技術を治療コミュニケーションへと転換、
治療ではなく人が人を治すという花谷先生の教えに私は惹かれていき、
「これだ!こんな治療家に私はなりたい!人の体も心も楽な方向に治せる治療家に私はなりたい!」
と強く思うようになりました。
私は教材を買い漁り、セミナーも参加し、「この人の下で働いてみたい!」けれど、
怖くて決断できないというジレンマに陥り、何を勘違いしたのか私は開業を目指します。
周囲の仲間や、親にも反対され、1人孤独に準備を進めていたある日、
花谷先生から「ウチで働いてみないか」とメールが届いたのです。
その時、スッと我に帰り、二つ返事で憧れの花谷博幸先生に弟子入り。
全国で最も注目されている治療院、バランス整骨院柳瀬川で7年間修業させて頂きました。
バランス整骨院では、副院長として4年間、院長として3年間勤めさせて頂き、
花谷先生に様々な試練を与えて頂きながら、治療者としても、人間としても、
高い基準と計り知れない愛情を受けながら、職場の仲間にも恵まれ、
人生の宝物ともいえる修行時代を過ごしました。
毎日、患者さんが待合室で溢れ、2,3時間待ちが日常茶飯事。
私も延べ4万人以上もの患者さんの治療をさせて頂きながら、
花谷先生からの治療指導を受け続け、その中で年間20本の経営・治療セミナーにも帯同。
お陰様で治療においては才を認められ、大手美容メーカーにて
美容小顔整体セミナーの講師を担う機会も頂けました。
その他には、人生初のフルマラソン完走(3時間49分で完走)、
ウルトラマラソン完走にも挑戦!富士山登頂!
業界でトップクラスを走り続けるバランス整骨院の一員として、
プライベートでも様々なチャレンジを求められ続け、それに応えてきました。
治療以外でも、人の心にアプローチができるコーチングも学習。
コーチングの会の認定コーチとしても活躍しています。
「人の体も心も楽な方向に治せる治療家に私はなりたい!」
その願いも修業期間7年で近づくことができ、花谷先生やチームバランスの皆様、患者さん、何より、仕事人間の私をずっと傍で応援、そして、支えてくれた妻のお陰で、無事に「卒業」という形で退社。
その後は、妻の親族が大泉学園に住んでいて、よく近くに伺っていた経緯もあり、そしてその紹介されたご縁もあり、今の治療院と巡り合うことができました。
大泉学園には写真スタジオがあり、娘の一歳記念日には家族で写真撮影をしたこともあります。
休日は娘2人のイクメンをがんばっています。
治療整体以外はからっきし・・・父親としてはまだまだ未熟もので、妻に怒られてばかり
子供たちからは盛大に泣かれて四苦八苦しています。
嫌われないように休日の家庭サービスにも勤しんでいます。
料理もできず、子供の対応にも不慣れな二児の父ですが
目を瞑って仕事に専念できるようサポートしてくださる妻には
いつも感謝しています。頭が上がりません。
そして、家族でも思い入れのある土地で2024年独立開業できたことを幸せに想います。
守るべき家族も、バランス整骨院でお会いできた皆様も、
これから出会う大泉学園の皆様も、私にとって大切な存在です。
大切な存在のために治療ができるこの職業は、私の天職だと感じています。
今後の目標としては、皆様のお力になるため120%全力を尽くし、地域No1治療院を目指します。
大泉学園で身体の健康に不安を抱える方々のサポートを、整体を通して行うことで、
地域でかけがえのない存在になりたいと考えています。
私の人生の目的は「私に関わる全ての人々を幸せな方向に導くこと」にあります。
治療整体を通して、これからは人生の目的を達成していくことが夢です。
「バランス整体院 大泉学園」もその夢を反映させた治療院として、共に成長し、築いていきます。
どうぞ今後とも末永くご愛顧よろしくお願いいたします。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今度はあなたのマイヒストリーをお聞かせ下さい。
上原隼斗(うえはらはやと)
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